賑やかなラストにわざと一人

もう今年が始まって一ヶ月が過ぎた。仕事が少しずつ忙しい時期に差し掛かっている。一進一退、うまく行ったりうまくいかなかったりしながら、でも悔しいことの方がいつまでも多い。さっき親指のささくれを向いたら血が止まらなくなってしまった。

 

1月の初めに図書館で3冊本を借りた。オスカー・ニーマイヤーのメッセージが書かれた本、精選女性随筆集の武田百合子さんの巻、喜べ、幸いなる魂よという小説の3つ。小説は予約がいっぱいの本で、期限までに読みきれず返してしまった。ニーマイヤーの本は、自分でも買いたいと思うほど心に留まる言葉が多かった。格差社会を解決したいと思っても、自分の問題だと捉えて立ち向かえる人は少ない。社会は変わるべきだと言葉で言うことはなんと容易いだろう。立ち向かうこととはなんだろう。そして、建築というものにとても興味を持った。考えてみれば、自然も好きだけど大きい建物もすごく好きだな。すごく大きくてざっくりとした自分の使命的なものに、地球や人間のことをもっと知る。というのがあるのだけど、建造物って地球や人間のことをもっとよく知るための手掛かりのような気がしてきている。

武田百合子さんの随筆は、とても端的でとても詳しい。人間がみずみずしい。読んでいるだけでなんとも言えないんだけど、さっぱりするんだよなあ。借りるだけでなくて、手元に置きたいと思った。

私はまず、この世に対して解像度がとっても低い。気付かず通り過ぎていることのなんという多さよ。怒りが自分のものでしかないことのなんという浅はかさ。自分の、そのまめでない部分、怒りを原動力にできない部分が、好きであり、嫌いでもある。もっともっと、鮮やかに見たいな、世界を。人間の中身を。そのためにはアウトプットが必要だな、少しずつ書き留めていかなきゃいけないな。

 

人間やるのってすごくだるいよなあ